教士に訊く~守破離 技から心の剣道へ~
2021/12/22
「オンライン道場GEN」オリジナルコンテンツ「教士に訊く」シリーズでは、狭き門の八段審査に見事合格した若き八段教士に、審査への取り組み、心構えについて訊いた。
剣道家の大きな目標である最高段位「八段」。合格率は1%未満の狭き門となっている。
八段審査会の特徴といえば、実技審査が2次まで行われることだ。
実技1次審査で、審査員6名中4名以上の合意を得た者だけが実技2次審査へと進むことができる。そして2次の実技審査では、審査員9名中6名以上の合意が必要となる。合計4回の立ち合いを行う旺盛な体力と高い集中力が求められる。
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<各段位の受審資格>
初段 一級受有者で、満13歳以上の者
二段 初段受有後1年以上修業した者
三段 二段受有後2年以上修業した者
四段 三段受有後3年以上修業した者
五段 四段受有後4年以上修業した者
六段 五段受有後5年以上修業した者
七段 六段受有後6年以上修業した者
八段 七段受有後10年以上修業し、年齢46歳以上の者
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最高段位「八段」の付与基準は「剣道の奥義に通暁(つうぎょう)、成熟し、技倆(ぎりょう)円熟なるもの」と『剣道・居合道・杖道 称号・段位審査規則/同細則』に記されている。剣道のすみずみまで詳しく理解し、技術はもちろん高くなくては八段にはなれない。
目次
- 1.長納 憲二 教士
- 2.原 忠生 教士
- 3.清田 高浩 教士
- 4.浦 和人 教士
- 5.林 勝幸 教士
- 6.中田 善幸 教士
- 7.藤森 晋作 教士
- 8.内濱 誠志 教士
- 9.彌永 政美 教士
- 10.上野 篤良 教士
- 11.蓮尾 孝幸 教士
- 12.神﨑 浩 教士
- 13.井上 孝 教士
- 14.佐藤 誠 教士
- 15.岡村 康広 教士
- 16.伊藤 明裕 教士
- 17.吉田 博光 教士
- 18.竹内 司 教士
- 19.玉田 晋作 教士
- 20.山中 洋介 教士
- 21.白石 輝志通 教士
- 22.笠谷 浩一 教士
- 23.稲富 政博 教士
- 24.教士八段と剣道の出会いVol.1
- 25.教士八段と剣道の出会いVol.2
- 26.教士八段と剣道の出会いVol.3
- 27.教士八段と剣道の出会いVol.4
- 28.教士八段と剣道の出会いVol.5
- 29.堀山 健治 教士
- 30.教士八段と剣道の出会いVol.6
- 31.山本 雅彦 教士
- 32.寺地 種寿 教士
- 33.小澤 博 教士
- 34.髙橋 亨 教士
1.長納 憲二 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/558
滝川第二高等学校に勤める長納憲二教士八段は大阪市都島区生まれ。長納教士が5年生の頃、剣道を題材にしたドラマやアニメが流行していた。さらに大阪拘置所内で行われていた剣道の稽古をみて興味を持ち、大阪拘置所少年部1期生として剣道を始める。
八段を意識して稽古に取り組み始めたのは44歳の頃。八段審査には並大抵の努力では合格できないことを認識していた長納教士は、この頃から4:30に神戸の自宅を出発して6:00から行われる清風高校での2時間の朝稽古に週1回参加していたという。また、初芝高等学校での稽古会では西善延範士に稽古をお願いし、その際に左手の握り方についての指導を受けた。西範士は「長納くん、左手はどないして握っとんのや?」と竹刀を差し出され、長納教士が竹刀を握ると「なるほど、そういう握りもあるな。でも、こうやって握ってみ」と指導を受け、左手の握り方によって剣先が相手に効き、相手が反応することを実感したという。長納教士は「私が西先生に稽古をお願いした時には剣先が効いていなかった。だから(西先生は)君の剣道は八段としてまだまだダメと言われたような気がした」と言う。その後、左手の握り方について2年ほど工夫を重ね、稽古を続けたところ剣先が相手に効きだし、西先生の指導はこのことだったのかと理解できはじめた頃から、八段審査を具体的に意識し、初太刀の一本、すぐ打たない、攻めて相手を崩すという、いわゆる「先々の先(先に仕掛けて、相手の起こりを先に打突する)」の反復練習を始められた。これらの稽古には剣先の効きが重要だったのだ。
長納教士はとある人物(現範士八段)を訪ね、その後の稽古の取り組み方を確立する。八段受審の回想、不合格となった1回目の審査と合格した2回目の審査内容の比較など八段審査合格を目指す、すべての剣道家にとってためになる盛りだくさん内容となっている。さらに今後八段としての役割について約30分語っている。
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記 GEN編集部 M
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2.原 忠生 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/594
北九州市・福岡神武館で小学校入学前から剣道を始め、剣道の基本を学ぶ。PL学園高等学校から鹿屋体育大学へ進学。川上岑志先生、谷口安則先生から指導を受ける。
平成5年から剣道特別訓練員(以下特練)に入る。特練では十分に稽古ができる環境があり、出稽古に行くわけではなく、毎回の稽古を必死に行った。特練1年目から試合に出場し初めての管区大会で6勝1敗の好成績を収める。その後、全日本剣道選手権大会や全日本東西対抗剣道大会にも出場する。
46歳で八段審査に初挑戦。自信はなく今までやってきたことを出すだけという気持ちで挑んだという。結果実技1次審査は合格したが、実技2次審査で不合格。その後、3回目の挑戦でも実技1次審査を合格。ここで「(稽古の)方向性は間違っていない」と思い込んでしまい、8回目の審査まで一度も実技1次審査を突破できなかった。
一般的には剣道強豪校に進学し、福岡県警察奉職後も試合で結果を残し、剣道のエリート街道を進んできたように見える原教士でさえ、八段審査合格には険しい道のりがあった。原教士はどのようにして八段審査に合格したのか、余すことなく語った。
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記 GEN編集部 M
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3.清田 高浩 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/595
小学二年生の頃、父親に兄と連れられ福岡市中央区にある護国少年剣道部で剣道を始める。「始めたころは剣道がどういったものかわからず、ほかのスポーツと変わらない感覚だった。道場の稽古は優しくほめて指導するタイプで楽しく稽古をすることができた。」と語る。試合に勝つことよりも剣道に対する姿勢、打突の基本をほめてくれた。兄が基本でほめてもらうことが多く、負けたくない一心で稽古をしたという。高校は福岡大学附属大濠高等学校に進学。中学までとは違い、高校の厳しさに戸惑いを感じ、試合で勝てないことも多かったが、護国少年剣道部出身の尊敬する先輩から、剣道に対する姿勢、剣道の形を学び、正しい剣道を頭に入れて稽古を行った。福岡県警察には一般採用で入職。交番勤務、逮捕術特別訓練員をへて、剣道特別訓練員(以下特練)となった。強い選手が揃う特練では「なにくそ根性だけで稽古をしていた」と語る。
「八段は神的な存在、手の届かない存在というイメージがあった。」と清田教士は謙虚に語るが、3回目の八段審査で見事合格している。3回という少ない受審回数で合格できた秘訣はどこにあるのか?特練引退後の稽古、不合格になった審査について語ってもらった。
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記 GEN編集部 M
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4.浦 和人 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/682
小学4年生の頃、通っていた学校の校長先生、教頭先生から剣道を習い始める。稽古はほとんどすり足の稽古だった。中学は神崎中学校(佐賀)に進学。1年生の後半から剣道同好会に入った。強い高校で剣道がしたいと、龍谷高等学校(佐賀)に進学する。高校卒業後は、父や知り合いの先輩もいることから兵庫県警に奉職。
兵庫県警の剣道特別訓練員時代は、逆転負けをすることが多かったという。見かねた佐藤桂生先生に「引き分けを狙ってみろ」と指導を受け、引き分けに徹する試合運びに変更。半年ほどたったある時、周りの先生から「引き分けはできるが勝てない」と言われていることを知り、勝ちに行くスタイルに変更。そこで佐藤先生から受けた指導の意味が理解できた。打てる場面でも我慢をしてきたことで、相手を観察する力がついていたのだ。「我慢をすることで、相手の手元が上がる瞬間が見えるようになり、小手打ちのコツをつかみ勝率が上がっていった」。また「相手に打たせないためには攻めが必要。その攻めが引き分け狙いの試合運びで身についた」と語る。
現役を引退し、指導者の立場にたった浦教士は「指導をすることで模範を示す。これが自分の稽古に繋がり、試合剣道との切り替えになった」と語る。八段審査に向けての取り組み、失敗談、合格した審査の前夜、当日の過ごし方まで、浦教士の審査にかける気持ちが伝わってくる内容となっている。
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記 GEN編集部 M
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5.林 勝幸 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/681
熊本県菊池郡泗水町出身、小学3年生から剣道を始める。柳川商業高等学校に進学した林教士は、全国高等学校剣道大会に出場し優勝。高校卒業後は、兵庫県警察に奉職し剣道特別訓練員となる。
兵庫県警は、3年連続1部で準優勝するなどしていたが、1981年2部に降格した
。初めての2部降格という不名誉なことに落胆は大きかった。しかし降格した翌年の大会では、3部で優勝し1部昇格を果たす。さらに翌年には1部優勝を成し遂げた。(剣道特別訓練員の出場する警察官剣道大会1部、2部、3部のリーグ制)
全国制覇を経験した林教士でも、八段は自分も合格できない段位だと思っていた。しかし、林教士に八段審査合格につながる転機が訪れる。その転機を経て八段審査に合格した林教士が、審査に向けた取り組み、審査、今後目指す剣道について余すことなく語る。
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記 GEN編集部 M
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6.中田 善幸 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/693
赤穗中学校(兵庫)に進学し、全国中学校剣道大会に出場する。東洋大学付属高等学校(兵庫)
でも全国高等学校剣道大会の個人戦に出場した。国士舘大学(東京)へ進み、兵庫県警に奉職。
中田教士は体が弱かったことから、両親のすすめで小学 3 年生から剣道をはじめた。初めて出場
した大会で 3 位入賞し、そのことが今でも記憶に残っていると、にこやかに語る。大学では、朝
稽古での 100 本切り返しなど基本重視の稽古が中心だった。兵庫県警では、厳しい稽古後の居残
り稽古まで行い警察官大会の選手にもなった。しかし審査では、七段を合格するのに苦労し、周
囲からは受審が遅いと言われながら、47 歳で八段審査に初挑戦した。
中田教士は、八段審査に不合格となった時の立ち合いについて「初太刀は取らないといけないと
考えすぎて、相手と立ち合いが合わず崩れてしまった」と回想した。また、「相手と自分がお互い
に 10 割の力を出したときの駆け引きがいいのではないか。試合では 7 割の力でも一本を取るこ
とが出来るかもしれないがそれではいけない」と語った。
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記 GEN編集部 M
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7.藤森 晋作 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/717
-守破離-技から心の剣道へ-
波多江剣道スポーツ少年団で剣道をはじめ、糸島高等学校に進学。高校の顧問である浅田青兒(せいじ)先生の勧めで九州共立大学に進学。毎日のように防具をつける谷口安則先生に指導を受けた。卒業後は福岡県警察に奉職。
藤森教士は、谷口先生について「こんなに強い先生がいるのか。かっこよくて、力も強い」と当時の印象を振り返り、「谷口先生に稽古をつけてもらったことが財産となっている」と語る。
八段審査に関して藤森教士は、「八段審査を意識した稽古をすると、相手が変わってくれた」と語り、フェイントを使って打突してくる相手が減っていったという。
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記 GEN編集部 M
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8.内濱 誠志 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/810
出身地である熊本県の小学校で、小学3年生から剣道を始めた内濱教士。
剣道を始めたきっかけは、先に習っていた兄が大会で入賞する度に持ち帰ってくる賞品に憧れたからだという。
小学校での稽古は朝稽古があり、母親に作ってもらったおにぎりを食べながら通っていた。中学校には剣道を指導できる先生がいなかったことから、生徒同士で稽古に取り組んでいた。高校は玉名農業高等学校に進学。ここでも入学当初、指導者はいなかった。しかし、2年生になると転機が訪れた。日本体育大学出身の大廣秀夫先生が着任され、ここから本格的な剣道の修行が始まった。県大会でも好成績を収め、卒業後は兵庫県警察に奉職する。
特別訓練員になってからの稽古、強化選手に選ばれていた兵庫国体に向けての稽古、八段審査当日の立ち合いの様子などを細かく語る。最後にはこれから八段を受審する人へのメッセージも頂いた。
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記 GEN編集部 M
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9.彌永 政美 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/828
出身地である福岡県の小学校で、小学1年生の3学期から剣道を始めた彌永教士。
家から100メートルと近い距離にあった小学校で行われていた寒稽古を、母親の勧めで見学に行ったことが剣道を始めるきっかけとなった。
小学校から中学校までは地元の学校に通い、桜木俊治先生の指導を受けた。高校は鹿児島商工高等学校(現 樟南高等学校)に進学し、矢崎時雄先生と○○先生の指導を受ける。お2人の指導する稽古は厳しいもので、何度も退部を考えたという。高校卒業後は法政大学に進学し、吉田博三監督、OBの先輩方のもと4年間稽古に励んだ。法政大学は剣道部専用の道場がなく、限られた時間の中での稽古だったため、内容は濃い稽古であったと回想した。
驚くことに、福岡県警察への奉職は自分自身の意志ではなかった。小学校から中学校まで指導を受けた桜木先生から「最後は親元で親孝行をしなさい」という言葉で福岡県警察の採用試験を受け、今現在に至っているという。八段となった今、改めて桜木先生やご両親への感謝の気持ちを持っていると語る。福岡県警察に奉職後は、基本を中心として稽古をしてきた大学までとは違い、勝負に執着するように気持ちが変わったという。八段審査受審にあたり、特に稽古の方法を変えることはなかったというが、審査での体験談など詳しく訊くことが出来た。また、今後目指す剣道についても話してもらった。
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記 GEN編集部 M
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10.上野 篤良 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/911
鹿児島県薩摩川内市入来町で小学4年生から剣道を始めた上野教士。剣道を始めた理由は、当時時代劇や忍者を題材にした番組が多く、チャンバラ遊びをしていたことから剣道に興味を持ったが、地区の小学校すべてに剣道部があるほど盛んだったという。中学校の剣道部に入部すると、先生、先輩は厳しく、稽古内容も追い込み、かかり稽古をひたすら行うという、非常に厳しい剣道部だった。厳しい稽古のかいもあり、地区大会で優勝し、常に県大会に出場していたため、強豪校である鹿児島商業高校に入学することが出来た。3年生になってレギュラーを獲得することができ、いろいろな大会に出場する中で、兵庫県警察の先生から声をかけてもらい奉職した。
警察学校卒業後は、三交代の交番勤務を経て、1年後に機動隊へ移動となり、剣道の術科特別訓練員となる。ここでも1日中かかり稽古ばかりで、さらに1週間の合宿など厳しい稽古が待っていた。しかし、そのおかげで今があると上野教士は語る。
八段審査を意識し始めたのは、七段審査合格直後に川本三千弘範士(兵庫)から「今から八段の修行だよ。今から準備しないと間に合わないよ。」と言われたときからだと言う。そこから、稽古が怖くなる時期もあったが、克服し八段に合格するまでの話を余すところなく応えてもらった。
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記 GEN編集部 M
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11.蓮尾 孝幸 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/928
福岡県警察に勤める蓮尾孝幸教士八段は福岡県出身。蓮尾教士は叔父に連れられ小学校1年生から剣道をはじめた。中学校から高校まで目立った実績がなかったというが、玉竜旗大会では4回戦まで勝ち上がっている。大学は、強い剣道に憧れ中京大学に進学した。
大学卒業後は福岡県警察に奉職し特別訓練員として活躍した。八段審査を意識したきっかけは、2004年に熊本県で開催された全日本選抜剣道七段選手権大会において、初出場で決勝戦まで勝ち進むことができ自信をつけたからだという。八段審査合格を目指し独学で稽古を積んでいたが、答えが見つからず宗辰舘剣道場の門を叩いた。宗辰舘剣道場では大日本武徳会武道専門学校出身の先生による指導が行われており、面打ちにこだわった厳しい稽古内容だったという。そんな中、アキレス腱断裂という大きな怪我を負い、7か月のリハビリを経て稽古を再開したが、筋力の低下から思うような稽古が出来なかった。しかし、試行錯誤することで、ある気づきがあったという。
怪我を乗り越え、二度の不合格を経て八段審査に合格するまでの話、これから目指す剣道について蓮尾教士に訊いた。
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記 GEN編集部 M
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12.神﨑 浩 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/949
大阪体育大学に勤める神﨑浩教士八段は宮崎県出身。小学1年生から剣道をはじめ、試合に勝つこと、友人と努力することの喜びを感じるようになる。中学校、高校は地元の公立学校に進学。部活動は稽古を充分に行える環境ではなかったため、全日本剣道選手権で優勝経験のある桑原哲明先生がいた旭化成の道場での稽古や、国体候補選手の強化練習などで力をつけた。
大学は高校の担任のすすめで剣道を専門に学べる筑波大学に進学する。剣道の指導者育成を目的としているため、稽古は切り返し、かかり稽古が中心であった。また、ここで妻である聡子さんと出会う。聡子さんは神﨑教士の学生時代の印象を「怖い先輩」と語っている。大学院卒業後は、作道正男先生のいる大阪体育大学に入職する。作道先生からは「週に11回は稽古をするように」と指導を受け、稽古に励んだ。八段審査前の印象について妻聡子さんは「審査も試合も変わらない。審査前に防具の新調を勧めたが、あるものでいいといわれた。普段通りの生活を変えない。」と回想した。
神崎教士自身の口からも、審査に対する考え方だけでなく、これから目指す剣道、また夫婦で稽古に励む楽しさ、難しさもあわせて訊いた。
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記 GEN編集部 M
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13.井上 孝 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/965
東海大学卒業後、香川県で教員になった井上教士は、全国教職員剣道大会団体戦での優勝、全日本選抜剣道八段優勝大会に出場など活躍している。
井上教士は八段審査受審の際に、初太刀を打つことではなく、その前の段階の構えから攻めに意識を置いたという。しっかりと構えをつくり、無理せず剣先、気持ちで攻め、相手の陣地に入り込み打ち込むこと、または相手が打たないといけない状況をつくり出すことを意識していた。礼から2分、実質1分半前後の審査時間の中で、攻めを意識することで必ずチャンスは訪れると井上教士は語った。
井上教士には、高段位審査における審査員の着眼点についても訊いた。ぜひ、六段、七段の全国審査に挑戦している方にも見ていただきたい。
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記 GEN編集部 M
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14.佐藤 誠 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/966
佐藤教士は宮崎県高千穂町出身。地元のスポーツ少年団で小学校2年生から剣道をはじめた。進学した高千穂高校での稽古は非常に厳しく、ついていくのがやっとだったという。高校卒業後は兄と同じく兵庫県警に奉職した。
兵庫県警に奉職後すぐには、兄弟で特別訓練員になることを許可されなかった。佐藤教士は当時の監督である真砂先生の助言のもと、許可がおりる2年もの間、公休も特錬の稽古に充てていたという。この2年間は地獄のような辛さだったと佐藤教士は回想した。のちに機動隊に入隊し正式に特練員となったが、総当たりのリーグ戦では最下位争いをし、結果が出せず特錬員を下ろされそうになった。その後、阪神淡路大震災が起こり、稽古どころではない日々も続いた。
ここまで、決して順風満帆な剣道人生とは言えない佐藤教士であるが、多くの先生方との関わり、出会いを経て八段合格を果たした今、今後の目標についても訊いた。
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記 GEN編集部 M
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15.岡村 康広 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1053
小学4年生から地元の道場で剣道を始めた岡村教士。進学した中学校に剣道部はなかったが、道場の稽古がない時は、同じ道場から進学した仲間と中学校の体育館のステージを借り稽古に励んだ。高校進学は道場の先生のすすめで、先生の母校でもある西海学園に進学する。西海学園の剣道部は、練成会には参加せず学内での稽古だけだった。その為、公式戦に出場してもいい結果は出なかった。しかし、岡村教士は「練成会に参加させなかったことは疑問だったが、正しい剣道を岩永正人が教えることに関して、
余計な剣道を見なくていいよということだったのではないか」と推測する。高校卒業後も剣道を真剣に学びたいと思い、進路について岩永先生に相談したところ兵庫県警察をすすめられ奉職することとなる。
兵庫県警察奉職後、21歳で特別訓練生になる。同期の選手よりも1~2年遅れての所属となったうえ、25人で総当たりのリーグ戦では2年連続最下位となる。それらの結果を踏まえ、二子石先生から「来年結果が出なければ特練を降りてもらう」と言われるほどだった。このままでは終われないと、より一層の努力を重ねることで徐々に成績を残すことができ、特練生となって5年目に初めて全国大会に出場した。八段審査受審にあたり、44歳の時に川本先生から「八段審査まで何年ある」と問われた際、安易に「まだ2年あります」と回答し、「まだということはどういうことだ。もう2年しかないじゃないか」と叱責を受けたという。それをきっかけにより一層稽古に励むことになった。
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記 GEN編集部 M
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16.伊藤 明裕 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1320
-守破離-技から心の剣道へ
大分県三重町出身の伊藤教士は、小学3年生から地元の警察道場で剣道を始めた。
小学生の頃は「試合は勝てなくても、基本通りの稽古をしなさい」と指導を受けた。
その後、地元の中学校を経て野津高等学校に進学した。当時の野津高校は女子剣道部が強豪校として有名で、それに追いつこうと稽古に励んでいたという。高校最後の大会では目標としていた結果は出せなかったが、兵庫県警へ奉職するきっかけとなった。
剣道が十分できるという気持ちで兵庫県警に奉職した伊藤教士だったが、特練自体の稽古は十分どころか「厳しいの一言に尽きる」ほどだったという。特に厳しい稽古であった2時間の立切試合は、立っているのもやっと、構えているのもやっとで異次元の稽古だったという。
しかし、そんな異次元の稽古を積んできた伊藤教士だが、八段合格は受審12回目のことであった。その伊藤教士に、これまでの経験と八段合格までの取組みを訊いた。最後にアドバイスも貰っているので、これから八段合格を目指す剣道家には是非一度見て頂きたい。
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記 GEN編集部 S
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17.吉田 博光 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1386
-守破離-技から心の剣道へ
吉田教士は山口県岩国市岩国町出身。父親が剣道をしていたことから、小学校1年生から剣道を習い始めた。また、小学6年生の頃に剣道をやめたいと父親に言ったことがあるというが、予想外の父親の言葉に涙を流し、剣道を続けようと決意した少年時代だったという。高校は、当時インターハイ常連校で憧れでもあった岩国工業高校に進学した。
高校卒業後、専修大学に進学した吉田教士。大学では強くて有名な先輩たちに憧れながらも、稽古についていく自信があまりなかった。そういう中で、自分に声をかけ励ましてくれた先輩に本当に感謝しているという。一方、大学4年生の最後の試合はベスト8に終わり、悔しい思いもした学生時代だったと話す。
大学卒業後に刑務官となった吉田教士は、全国矯正職員武道大会で3連覇するほど実績のある岡山刑務所に勤務した。仕事と剣道の両立に苦労しながらも、そこでも先輩に恵まれいい経験をさせて頂いたと感謝する。3年後、故郷にある岩国少年刑務所に転勤し選手となった吉田教士は、岩国少年刑務所を大正時代の創立以来はじめての全国矯正職員武道大会出場へと導いた。
しかし父親の他界と同時に刑務官を退職、家業を継いだ吉田教士。剣道をする環境が変わったなかでの八段合格への取組みと八段の理想像を訊いた。
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記 GEN編集部 S
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18.竹内 司 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1553
-守破離-技から心の剣道へ
岡山県出身の竹内教士は、小学校1年生から養徳館道場で剣道を始めた。母親の一言で火がついたという竹内教士は、勝間田高等学校から日本体育大学へ進学。大学1年生から試合に出場し活躍した。大学卒業後は教員を経て、地元である岡山県勝央町の役場職員となった。
地元へ戻り町役場職員となった竹内教士だったが、養徳館道場での少年剣道指導と同時に、新たにゴルフを始めなければいけなくなったという。そのうえ、始めるからにはとことん目標達成に向け練習に没頭する性格で、ゴルフにのめりこんだ時期があったと話す。
剣道のみならずゴルフに対しても一生懸命取り組んできた竹内教士に、それぞれの取組み方と剣道とゴルフとの共通点、そして八段となった今後の目標について訊いた。
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記 GEN編集部 S
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19.玉田 晋作 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1570
-守破離-技から心の剣道へ
玉田教士は小学校3年生から剣道を始め、地元徳島の阿南中学校、富岡西高等学校を卒業し、日本体育大学へ進学した。4年間苦しみながらも、地道に真面目にコツコツと剣道を続け教員の道へ進んだ。
進学校の教員となった玉田教士は、限られた時間の中で剣道を指導し強くするために、自身が剣道を紐解き、生徒に対してわかりやすく説明することによって効率的に練習を行うことを常に心がけていたという。
そして、その経験が自身の八段合格に非常に役立ったと話す一方で、八段合格までに11回の不合格を経験している。
玉田教士が八段合格のため紐解いた呼吸法、打ち切り、姿勢、攻め方について、豊富な経験と共にわかりやすく話してもらった。
また、現在玉田先生が行っている稽古会の内容についても訊いた。
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記 GEN編集部 S
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20.山中 洋介 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1578
-守破離-技から心の剣道へ
山中教士は広島県出身。PL学園高等学校から筑波大学に進学し、鳥取県の教員となる。
筆者にとっては学生時代にテレビで見ていた全日本剣道選手権大会の鳥取県代表と言えば山中教士という印象だったため、広島県出身と知り山中教士の話は益々興味深いものになった。
広島県から出てPL学園に進学した山中教士にとって、寮に掲げられた「全国制覇」の文字は新たに明確な目標を持つことが出来た瞬間だったという。また、全国制覇に向けた稽古は「半端じゃなかった」と語るほど想像を絶するものでもあったが、この3年間が結果も含め自身の礎になっているという。
全国、全日本と名の付く大会に鳥取県代表として出場してきた山中教士の、当時抱えていた選手としての葛藤と八段審査への思い、そして今後目指すものを率直に訊かせて頂いた。
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記 GEN編集部 S
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21.白石 輝志通 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1650
-守破離-技から心の剣道へ
白石教士は、父、兄の影響で中学1年生から剣道を始めた。
当時体の小さかった白石教士は、体力的なものを補うために週8回の稽古に励んでいたという。
早稲田実業高校、早稲田大学を卒業、㈱スキージャーナル(現 剣道日本)に就職。
26歳で㈱スキージャーナルを退職後、父が開いていた練兵館(栃木県)で指導に携わりながらフリーライターとして活動する。
1989年、蔵の街剣士会を創立し、練兵館や剣道日本編集部時代での経験を活かした指導を始める。2012年には蔵の街剣士会の専用道場を建て、現在 少年少女から一般まで数多くの剣道愛好家を指導している。そして全日本剣道選手権大会など、数多くの大会に出場経験のある白石教士が指導し卒業していった門下生も500名程となり、「当たり前が普通にできるように」と教わった卒業生は現在も様々な年代で活躍を見せている。
一方、白石教士の八段審査合格は意外にも長い道のりだった。八段合格に至る「求める稽古」という気づきから取り組み、また八段として今後自身が求める剣道について訊いた。
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記 GEN編集部 S
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22.笠谷 浩一 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1769
笠谷教士は小学校4年生から剣道を始め、高校卒業後に大分県警へ奉職。目標であった全日本剣道選手権大会出場を果たす。剣道特別訓練員に約19年間在籍の後、剣道八段審査にも合格している。
その笠谷教士が剣道を選んだきっかけ、剣道を続けようと決めたエピソード、大会での失敗談などには人間味を感じさせるものが多い。
本編では高段位審査受審者へのアドバイスも頂いているが、その中で笠谷教士は、日頃の稽古で「上の先生に掛かる稽古」、「素振り」、「切り返し」をしっかり行うことが、試合においても、審査においてもとても大事だと物腰柔らかい口調で話している。
聞きなれた稽古かもしれないが、筆者にはそれらの重要性を再確認させられる話であった。
筆者の感想ばかり書いてきたが、動画をご覧いただいた方の感想も頂いてみたい内容だ。
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記 GEN編集部 S
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23.稲富 政博 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/1768
佐賀県武雄市出身。小学4年生から剣道を始め、高校卒業後に佐賀県警へ奉職。県内の警察官大会で好成績をおさめ、2年後に一般採用から剣道特別訓練員に引き上げられる。全日本剣道選手権大会をはじめ数々の大会で活躍。剣道教士八段。
筆者が稲富教士と聞いて真っ先に思い出したのは、全日本剣道選手権大会での剣道だ。
それは稲富教士の足腰の安定感と強さを感じるもので、そこから発現される「突き」に目を奪われたのを覚えている。一本にはならなかったが、「突いたい!」の発声とともに、相手の体を突き通しそうな豪快な突きは、高校生だった筆者にはとても印象的だった。
その稲富教士は八段審査へ向け、「自分を知ること」から始めたという。その内容は、自身のビデオ撮影、合格者の立合いDVDの視聴などを通じて、客観的に自分の剣道を確認しながら稽古やトレーニングをするというもの。
本編では、人それぞれと前置きしながらも、稲富教士自身の審査前の過ごし方やルーティンなども紹介して頂いているので是非確認して頂きたい。
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記 GEN編集部 S
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24.教士八段と剣道の出会いVol.1
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2154
剣道家の多くは、最高段位である八段取得を目標として日々稽古を積んでいる。
しかし、心のどこかで八段取得者を雲の上の存在だと思い、諦めている剣道家は少なくない。
さらに合格している先生方についても、幼少の頃より世代を代表するような選手、
または剣道エリートに違いないと思っている。
しかし、筆者がこの「教士に訊く」シリーズを視聴してわかったことは
「若くして八段に合格した先生も、剣道を始めたきっかけは様々で、
特別な環境で剣道を始めたわけではなく、さらには輝かしい結果を
ずっと収めてきた先生ばかりではない」ということである。
このシリーズで話を聞けば聞くほど、「今からでも遅くない」「私にも八段になれるチャンスはある」
そう思わせてくれる。
今回はそんな「教士に訊く」から3名の先生の剣道との出会いから青年期までの話を
まとめた総集編となっている。
ぜひご覧いただきたい。
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記 GEN編集部 M
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25.教士八段と剣道の出会いVol.2
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2169
剣道家の多くは、最高段位である八段取得を目標として日々稽古を積んでいる。
しかし、心のどこかで八段取得者を雲の上の存在だと思い、諦めている剣道家は少なくない。
さらに合格している先生方についても、幼少の頃より世代を代表するような選手、
または剣道エリートに違いないと思っている。
しかし、筆者がこの「教士に訊く」シリーズを視聴してわかったことは
「若くして八段に合格した先生も、剣道を始めたきっかけは様々で、
特別な環境で剣道を始めたわけではなく、さらには輝かしい結果を
ずっと収めてきた先生ばかりではない」ということである。
このシリーズで話を聞けば聞くほど、「今からでも遅くない」「私にも八段になれるチャンスはある」
そう思わせてくれる。
今回はそんな「教士に訊く」から3名の先生の剣道との出会いから青年期までの話を
まとめた総集編となっている。
ぜひご覧いただきたい。
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記 GEN編集部 M
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26.教士八段と剣道の出会いVol.3
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2206
剣道家の多くは、最高段位である八段取得を目標として日々稽古を積んでいる。
しかし、心のどこかで八段取得者を雲の上の存在だと思い、諦めている剣道家は少なくない。
さらに合格している先生方についても、幼少の頃より世代を代表するような選手、
または剣道エリートに違いないと思っている。
しかし、筆者がこの「教士に訊く」シリーズを視聴してわかったことは
「若くして八段に合格した先生も、剣道を始めたきっかけは様々で、
特別な環境で剣道を始めたわけではなく、さらには輝かしい結果を
ずっと収めてきた先生ばかりではない」ということである。
このシリーズで話を聞けば聞くほど、「今からでも遅くない」「私にも八段になれるチャンスはある」
そう思わせてくれる。
今回はそんな「教士に訊く」から3名の先生の剣道との出会いから青年期までの話を
まとめた総集編となっている。
ぜひご覧いただきたい。
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記 GEN編集部 M
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27.教士八段と剣道の出会いVol.4
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2225
剣道家の多くは、最高段位である八段取得を目標として日々稽古を積んでいる。
しかし、心のどこかで八段取得者を雲の上の存在だと思い、諦めている剣道家は少なくない。
さらに合格している先生方についても、幼少の頃より世代を代表するような選手、
または剣道エリートに違いないと思っている。
しかし、筆者がこの「教士に訊く」シリーズを視聴してわかったことは
「若くして八段に合格した先生も、剣道を始めたきっかけは様々で、
特別な環境で剣道を始めたわけではなく、さらには輝かしい結果を
ずっと収めてきた先生ばかりではない」ということである。
このシリーズで話を聞けば聞くほど、「今からでも遅くない」「私にも八段になれるチャンスはある」
そう思わせてくれる。
今回はそんな「教士に訊く」から3名の先生の剣道との出会いから青年期までの話を
まとめた総集編となっている。
ぜひご覧いただきたい。
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記 GEN編集部 M
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28.教士八段と剣道の出会いVol.5
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2242
剣道家の多くは、最高段位である八段取得を目標として日々稽古を積んでいる。
しかし、心のどこかで八段取得者を雲の上の存在だと思い、諦めている剣道家は少なくない。
さらに合格している先生方についても、幼少の頃より世代を代表するような選手、
または剣道エリートに違いないと思っている。
しかし、筆者がこの「教士に訊く」シリーズを視聴してわかったことは
「若くして八段に合格した先生も、剣道を始めたきっかけは様々で、
特別な環境で剣道を始めたわけではなく、さらには輝かしい結果を
ずっと収めてきた先生ばかりではない」ということである。
このシリーズで話を聞けば聞くほど、「今からでも遅くない」「私にも八段になれるチャンスはある」
そう思わせてくれる。
今回はそんな「教士に訊く」から3名の先生の剣道との出会いから青年期までの話を
まとめた総集編となっている。
ぜひご覧いただきたい。
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記 GEN編集部 M
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29.堀山 健治 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2272
三重県出身の堀山教士は、小学6年生から剣道を始めた。中学3年生の時に県大会の個人戦で優勝し、三重高校へ進学。高校でも県大会の個人戦優勝や団体戦で3年連続インターハイ出場するなど活躍した。そして中京大学時代にも東海学生選手権大会優勝、全日本学生選手権三位などの成績を残す。同大学の教員となり全日本剣道選手権大会出場などの実績を積み上げてきた。また昇段審査においても、36歳という若さで七段に合格している。
もともと運動は好きだったという堀山教士だが、小学6年生から剣道を始め、これほどの結果を残すには相当な努力があっただろうことは想像に難くない。しかし、そんな堀山教士でさえ八段へ昇段するのに10年かかったのだという。
堀山教士が10年かかった一因でもあると分析する「こだわり」は、どこか筆者には共感するものがあった。
その「こだわり」とは何か。
堀山教士の思いが詰まった本編をご覧頂ければと思う。
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記 GEN編集部 S
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30.教士八段と剣道の出会いVol.6
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2362
剣道家の多くは、最高段位である八段取得を目標として日々稽古を積んでいる。
しかし、心のどこかで八段取得者を雲の上の存在だと思い、諦めている剣道家は少なくない。
さらに合格している先生方についても、幼少の頃より世代を代表するような選手、
または剣道エリートに違いないと思っている。
しかし、筆者がこの「教士に訊く」シリーズを視聴してわかったことは
「若くして八段に合格した先生も、剣道を始めたきっかけは様々で、
特別な環境で剣道を始めたわけではなく、さらには輝かしい結果を
ずっと収めてきた先生ばかりではない」ということである。
このシリーズで話を聞けば聞くほど、「今からでも遅くない」「私にも八段になれるチャンスはある」
そう思わせてくれる。
今回はそんな「教士に訊く」から3名の先生の剣道との出会いから青年期までの話を
まとめた総集編となっている。
ぜひご覧いただきたい。
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記 GEN編集部 M
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31.山本 雅彦 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2538
山本教士は小学4年生の時、剣道愛好家である父親の勧めで剣道を始めた。中学に剣道部はあったものの部員が2、3名という環境だったため、剣道を習い始めた泉南警察署(大阪)での稽古も続けた。高校は強豪PL学園に進学し、インターハイ団体、個人ともに優勝を成し遂げ、国士舘大学を経て大阪府警に奉職。
これらは動画の中で訊くことのできた山本教士の略歴だが、ここに「渋々剣道を始めた」、「嫌々ながら有名校PL学園に進学」、「上段」という、もう少し動画内の言葉を正確にお伝えすると驚く方は多いのではないだろうか?
体が大きかったとは言うが、高校から上段に構え始め、インターハイを制したということだ。
動画を視聴してみると、異次元な戦歴を寡黙な感じで話す山本教士だが、訊くことができた以上の努力があったことは想像に難くない。
山本教士の動画ではその他に、「自身の上段指導方法」、「八段審査においての構えと心構え」など気になる話を訊かせて頂いている。
上段の方は勿論のこと、中段の方は上段対策の参考にもしたい内容だ。
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記 GEN編集部 S
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32.寺地 種寿 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2598
寺地教士は小学2年生から剣道を始め、鹿児島商工高等学校(現 樟南高等学校)、法政大学、警視庁へと進んだ。
子供の頃から毎日のように稽古をし、輝かしい実績と共に多くの経験を積み八段審査に合格した。しかし、その寺地教士でも八段審査合格は難しかったと振り返る。
寺地教士にとって合格に必要なものとは何だったのかを訊くと「気持ち」、「四戒」だという。
「驚、懼、疑、惑」。
つまり、この「四戒」が自身の技の発現や稽古の取組みに影響を与え、そしてそれを相手や審査員が見抜くという。
本編では、寺地教士が八段合格に必要であった「気持ち」について具体的に訊かせて頂いている。ぜひ参考にして頂きたい。
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記 GEN編集部 S
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33.小澤 博 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2599
小澤教士は、実家の道場(羽生興武館)で小学1年生から剣道を始め、日本体育大学へ進学、大学院卒業後に教員となった。
少年時代の剣道について訊いてみると、切り返しと掛かり稽古だけの稽古だったためか、あまり試合は得意ではなかったという小澤教士。それでも中学時代に県大会で優勝するほど力はついていた。何より八段審査の一次審査を8回通過していることからもその力をうかがうことができるだろう。
今回は、自身の審査から感じたことを基に着眼点やアドバイスを頂きながら、そして他の先生方からはなかなか聞くことのできない審査前の失敗談まで小澤教士の人柄に甘え訊かせて頂いた。
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記 GEN編集部 S
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34.髙橋 亨 教士
動画はこちら→https://gen-universe.com/ja/video/2815
大分県日田市生まれの髙橋教士は、東京教育大学へ進み、卒業後体育の教員となった。
早くから様々なことに挑戦、そして経験を積み、東京芸術大学において定年退職を迎えた。
体育の教員であった髙橋教士が東京芸術大学の教壇に立つことになった経緯、剣道に対する考え方、八段審査へ向けての取組みなど、3部に分けて聞かせて頂いた。
髙橋教士の「自身の生き方」ともいえる話はとても興味深いものだった。
是非ご覧ご覧頂きたい。
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記 GEN編集部 S
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