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    切腹 - 武士はなぜ自ら腹を切ったのか?

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    時代劇を見ていると武士が切腹するシーンを目にすることがあります。つまり短刀を自身の腹部に突き刺してさらに切り裂きながら自分の命を絶つという行為が切腹なのですが、海外でもharakiriとして知られるくらい衝撃的な武士の慣習です。切腹は武士だけに許された方法であり、武士らしく潔く死ぬための作法であったとされます。

     

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    1.なぜ腹なのか?

    とはいえ腹を大きく一文字か十文字に切るのが一般的な切腹と言われています。自分の意志で、刃をまず左脇腹に深々と突き立て、それを確実に横に引いていくのです。十文字切りの場合は、さらにいったん刃を引き抜いてから、今度はみぞおちを突き刺しそこから刃を上から下へと引き裂いていくのです。想像するだけで恐ろしい光景ですよね。そもそも医学的には、腹部を切開しても太い血管が通っていないため、切腹だけではすぐに失血死はしないそうなので、死ぬまで相当な時間がかかり激しい苦痛でのたうち回りながらゆっくりと死んでいく手段が切腹なのです。しかしいくら潔く死ぬとはいえ、なぜあえてこんなやり方で武士は死を選んでいたのでしょうか?

     

    2.起源

    そもそもいつごろからこの文献上で確認できる最初の切腹は、988年(永延二年)とされ、盗賊の藤原保輔が捕まるときに、刀で腹を割いて腸を引きずりだし、自殺をはかったという記録があります。つまり切腹は当初武士からはじまったものではなかったようです。その後、室町時代などにも切腹を行った武士の記録が残っていますが、このころは主君が亡くなったときに、そのあとを追って殉死するという形式の切腹がほとんどでした。

    3.本来の切腹

    やがて本格的な乱世の時代が到来すると至る所で戦が行われましたが、不運にも戦いに敗れ、窮地に追い込まれた武士は、敵に殺されるのを待っていたり敵方の捕虜となる恥辱を受けるくらいなら、自分で切腹して死を選ぶ、それも最大の痛みを伴って死ぬことこそが武士の誉れと思うようになったのです。また籠城をして敗軍となった場合、軍の将が切腹をする引き換えに城兵や家族の助命を請うということもありました。

     

    4.介錯人

    ところが、戦国時代に入ると切腹の意味合いが大きく変わりました。切腹が武士の刑罰となっていったのです。それまでは、ある意味自ら志願して切腹をしていたのに対して、この時期からは、権力者や勝者が不手際の罰、つまり武士の処刑として切腹を命令ようになるのです。そして江戸時代になることには、切腹にも作法が確立され、介錯人と呼ばれる切腹の補助役が登場しました。具体的にいうと、切腹人に付き添って首を切り落とし、検視役に首を見せるといった役回りです。このように切腹が非自主的な処刑という形式に変わっていったため、激しい苦痛から解放させるために介錯人という役が登場したのだと考えられます。とはいえ介錯人も一刀で首を切り落とさなければいけないので、よほど剣術に優れた者でないと勤まりませんでした。介錯の失敗は、切腹人を幾度も斬りつける事態になりかねず逆に切腹人にさらなる苦痛を与えるばかりでなく、武術不心得として預かり人の家の恥とされたので、場合によっては他家に依頼して介錯人を借りてくることもあったようです。

     

    5.儀式としての切腹

    さらに天下泰平の江戸時代になると切腹はただの儀式的なものになっていきました。切腹前の潔斎。公儀への届け出。当日の準備や服装。切腹に用いる短刀の寸法。具体的な切腹の所作。介錯の作法。検死の方法。こうした細かい取り決めごとに則り、淡々と流れ作業のように切腹が進んでいくのです。切腹という文化自体は世界各地にあるのですが、マニュアル化されたのは、おそらく世界的にも異例だと思われます。

     

    6.扇子腹

    乱世の時代ではいつ命を取られてもおかしくない時代を生き抜いていた戦国武将たちとは違い、このころになると、自分の腹に短刀を突き立てることの出来る武士は少なかったようです。そのため、実際には腹を切らせず、三方(神事に使われる台)に乗せられた短刀に手を伸ばした瞬間に、介錯として首を切り落としてしまう方法に変わっていきました。さらに、目の前に短刀を置いておくとどうしても恐怖心がわき、取り乱してしまう武士もいたようで、三方のうえに短刀でなく紙で包んだ木刀や白い扇子を代わりに置くこともあったようです。そして、三方のうえの木刀や扇子を取りに行くしぐさをする瞬間に、介錯として首をはねたわけです。扇子で切腹したことが世間に知られると「やつは扇子腹だったそうだ」などと陰で臆病者扱いされることもあったようです。

     

    7.まとめ

    そうはいっても藩のトップである大名が自らの失政の責任を感じて切腹したという判例は記録上皆無だそうです。たいていは、その家老や側近が切腹して決着するというものです。今でも日本語で、強制的に他の人に責任を取らされたり辞職させられたりすることを「詰め腹を切る」といいますが、下級の者に責任を取らせるというのは今も昔もあまり変わっていないということなのかもしれませんね。

     

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